水を纏う老婆
入りたくない倉庫
私はその倉庫に入るのが何故か判らないが嫌だった
私の職場には、高い屋根が6つ連なる工場建屋があった。
内部では壁が無く、空間が全て繋がる広い工場内の奥深くに有る部品倉庫。倉庫は扉が無く解放されてはいるが陽の光が入らず、薄暗い為に入室する時は照明を点けなければ成らない。設置されているのは五段スチール棚の什器で、3つで一つの列を作る、それが六列並んでる。小さな部品を取りに倉庫内に入った時の事。
下の段に有った部品を取る為に屈んだ瞬間、全身を悪寒が走り周りを見渡したが何も無い。頭の中で「???」と不思議に思いながら倉庫から出た。この後も何回かこの現象は繰り返して居たが、誰にもこの事は言わなかった。そしてまた部品を取りに行くと足元に違和感が…。乾いてる床面の筈なのに踝までの水が有る感覚と、何処からか誰かにジッと見詰められてる感覚が有った。他には誰もその倉庫には居なかった。だが視線は感じる。何処から見られているのかは判らない。慌てて倉庫を出て、工場の生き字引と言われる爺様に「あの倉庫、昔にトイレか井戸が無かった?」と聞くと「元は畑だ」と即答で返された。この返事を聞いてから何か居ると確信した。
その倉庫では時折気配を感じたが、水と視線の気配は常に有る訳ではなかった。気配がある時と無い時の曜日や日にち時間帯はランダムで、一定してない事が判った。水の気配が有る時は必ず視線を感じるのだが、相変わらず場所は判らない。気配は判っても何が居るのかは判らない。
だがこれを他人に話す訳にはいかなかった。幽霊と聞いた途端に馬鹿にする人が居るからだ。
興味から温度計と湿度計を持ち込み、倉庫と工場内と比べてみたが特に違いはない。水と視線の気配が有る時も、気温湿度計共に工場内と変わった所はなかった。「へぇ~面白いな。水の気配が有っても湿度は変わらないんだ・・・」「ならこれは心霊現象だな」と独りで納得していた。
老婆が…
その日も倉庫前での作業が有った。今日は倉庫内で例の水の気配が有ったが、気にしてたら仕事が進まない。「まぁ大丈夫だろ」と作業を開始した。
同僚が昼休み前に倉庫へ入り、「ここ湿気が高いな、防湿しないと錆びるからダメだ」とブツブツと言いながら出て来た。私は心の中で「湿気じゃあ無いから無理!!」と応えた。
倉庫内で水と視線を感じる日が有るが、ただそれだけの日々が過ぎて行った。
冬になり年末近くなった頃、倉庫内の点検と補充を命ぜられ倉庫へ。その日は水の気配は無かった。
部品リストの照合と清掃をし、作業が三分の二くらい終わり、二列目の部品を補充してた時だった。
突然ひたひたと足元に水が来る感覚がした。いつもは突然水が有る感覚なので初めての感覚だった。
変だと思った瞬間ゾワッと全身を襲う悪寒と、全身の体毛が逆立ち、頭が少し痺れる感じになった。
そして此方を見られてる感覚が強烈に感じられ、恐る恐る振り向くと…..
振り向いた先、倉庫の奥の壁近くに小柄な老婆が立っていた。いや少し30センチ位宙に浮いてるではないか。「…..えっ」黒に近い茶色の着物を着て、白い毛が混じった髪を後頭部で一本に纏めている。背も少し曲がり俯き加減の為か表情が判らない。「俯いてるのにこっちを見てやがる…」見えてしまった恐怖から倉庫を出て事務所に居る課長に報告した。「少し作業が残ってますが、もう倉庫に入りたくないです」「なんでだよ、もう少しで終わりなんだろ」
「気味悪過ぎて倉庫に居られないからです」「気味悪い?偶に気味悪いと言う者は居たが…」「奥に婆さんが立ってこっちを見てます」「馬鹿馬鹿しい早く作業に戻りなさい」「絶対に倉庫に行きません、最低でも今日は嫌です」私は事務所を後にした。
時を経ても…
初めて老婆の姿を見てから18年、当時の課長は定年で代替わりし、私自身も会議に出席出来る身分に成ったが、老婆は相変わらず水を纏って姿を見せる事があった。
私は老婆のいる倉庫に入りたく無いのだが、仕事なので仕方無く入る。老婆が居る時は気配が物凄いのだが、居ない時は薄暗いただの倉庫だ。老婆は姿を見せても、俯き佇みただ此方を見ているだけだった。
害は無さそうなので、退職した課長以外には誰にも話さなかった。話してもどうせ信じて貰えず馬鹿にされるだけだからだ。
ある日の会議が終了し椅子から立ち上がろとした時、隣に居た同僚が真剣な表情で新しい課長に訴えた。
「時々なんだけど倉庫に居る時に視線を感じる時がある」
「おいおい俺が怖がりだからってそんな事を言うなよ」
課長は笑い飛ばしながら返答したが、もう一人の同僚も言い出した。
「偶に見られてる感じがするし、その時は湿気が異様に高い気がする」
課長は少しムッとしながら「お前ら揃って、俺を担ごうとしてるだろ?」と言い放つ。
他の会議参加者はざわめき、興味深々の好奇な目をしてるか、胡散臭い顔をしてる者が多数だった。
仕方無く私が最初に視線を感じたと言った同僚に「一列目と二列目の棚の奥、壁に婆さんが立ってるだろ」と言った。
会議室は一瞬で静かになった
「一列目と二列目の棚の奥、壁に婆さんが立ってるだろ」静かに成った会議室に私の声が響く。私と同僚達の会話が続く。「そう、お婆さん」「黒に近い茶色の着物着て髪を後ろで一本で括ってるんだろう」「…その姿で合ってる。気のせいとかじゃなかったんだな」「うぁ、やっぱり居るんだ…。湿気が有るけど何でろう?」「理由は知らないけど踝くらいの高さ迄の水の気配が有る。かなり前から婆さん居るよ。○○課長時代に一度報告した」別の会議参加者がざわめいた。
「倉庫内が気味悪い時に足元が変な感じがするけど水だったか」
「俺、気味悪いから倉庫行きたくなかったんだ」
「話を聞いたら怖いから倉庫行きたくない」
「あそこ気味悪いよな」私はこいつら面白がったり胡散臭い顔してたのに、状況が揃えばこれか…と思ってると、文字通り頭を抱えた課長が「何か対策を考える」と発言し会議は終了した。暫くしてから倉庫の棚の上に、塩を盛った小皿と小さな瓶に入った日本酒が置かれるようになった。
その後も相変わらず水と共に老婆は存在していた。
消えた老婆
それから暫く経ち、倉庫裏に有る他社の建物が解体され、新築工事が始まった。ふと気付くと水の気配が無いのに老婆が立ってた。私は今までこんな事は無かったのになぁと思いながら仕事を続けた。それからは老婆だけが存在していたが、裏隣の社屋が完成した頃から老婆の姿が見えなくなっていた。あの会議で告白した同僚に聞いてみた。
「最近、婆さん見るか?」「いや、裏の工事が終わった位から見てない」「いつの間にかあの水みたいなのも無くなってる」地鎮祭か何かで存在出来なくなったのかな?と思いながら同僚に「気味悪い思いしなくて良いじゃあないか」と話を括った。
あれから幾年かが過ぎたが水を纏う老婆の姿や気配はもう感じられない。
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